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カリオペ

Author:カリオペ
俺様夫と別居して9年。アラフィフ女の独り言です。そりゃ、毒も吐きますよ、もちろん。

 
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各地で花火大会が行われていますね

ということで、わたしも観にいきました
混雑に耐えられる気がしなかったので、今日は、会場までは行かずに離れたところから…

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そして、今日は8月15日
終戦の日


花火には、平和と鎮魂の祈りが込められている

わたしの母は、東京大空襲を体験している
下記は、母の戦争体験記です
多くの方が書いた体験談の中のひとつです

…前略…
長く尾をひく焼夷弾が落ちてくるのを見て、表へ飛び出しました。
玄関にあった雨傘を手に外へ出ると同時に、大音響とともに家が木端微塵に吹き飛んでし
まいました。

…中略…

雨傘で火の粉を防いでも熱さに耐えられず、防火用水の水をかぶりました。
どこまで逃げても火の海で、この灼熱地獄から逃れるには、大塚駅の土手を
這い上がるしか道はありません。しかし、その土手も枯れ草が燃え広がり登ることができ
ません。
コートを水がポタポタたれるほど濡らして、火のついた土手を必死によじ登り、這い上がって
驚いたことには、線路の上も枕木が燃え上がり、明々と人々の顔を照らしだしています。

何百人という数多くの人が、「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」とお題目を唱え、
「わたしたちは、同じ日本人です。日本人同士、仲良くここでかたまって死にましょう」と
叫んでいました。

…中略…

土手の上から見渡す限り火の海で、日本中が灰になってしまうかと思う程の凄まじさでした。
この光景は、二度と見ることはできないだろう、という思いが脳裡をかすめました。

「ここで死にたくない、もう一度、母や妹たちに逢いたい」とわたしも一緒にお経を唱えて
いました。そのとき、炎で真っ赤な町の上空に、黒い砂埃のようなものが舞い上がりました。
「竜巻だぞー」という声が、暗闇に響きました。黒い煙は、段々と近づいてきます。
急いで線路に身を伏せました。

今、死ぬかもしれない。

目の前のホームを見ると、火の手が盛んに燃え、今にも屋根が崩れ落ちそうでした。
しかし、そこを通り抜けなければ助かる方法はありません。
こんなところで枕木に焼かれて死にたくはない。そして、一気に駆け出しました。
ホームを駆け抜けると同時に、駅舎は崩れ落ちました。  …中略…

出た側は、だいぶ下火になっていました。

…中略…

翌朝、白い煙がくすぶりづつける中を、昨夜逃げてきた道を戻ってみました。
枕木の上に、何百人という黒焦げの死体が、折り重なって山になっていました。
わたしも、この中のひとりになっていたかもしれないという思いで、手を合わせました。


…中略…

街路樹に寄りかかっている人に「おばあさん、大丈夫ですか」と手をかけると、
ぐにゃっと倒れこんできました。立ったまま焼け死んでいたのです。
列車から逃げ出た馬でしょうか。爆風で首は飛び、しっぽは焼けてなくなり、どちらが
前か後ろか分らない姿で横倒しになっています。
セルロイドの人形のような手で空をつかむようにして死んでいる子供、
性別もわからない程黒焦げの人が、歩く先々の道の真ん中に転がっています。
わたしは、その佛さまを踏まないように通りました。

…中略…

丸太を並べた上に、まるで魚のように死んだ人が積まれて燃やされていました。
後から、あとからトラックで運ばれてきて、まだ灰にならない人の上に放り出されて
焼かれています。辺り一面に嫌な臭いがただよい、歩いても歩いても、臭気は
後を追ってきます。


…中略…

あの終戦の混乱期、一億総乞食といわれた時代、テレビも育児の本もなく、21歳の
わたしは、母が妹たちを育てた昔を思い出しながら、娘を育てました。
その苦労は、とても簡単に筆で表すことはできません。


…中略…

あの火の海で、もう一度逢いたいと思い描いた母も彼岸の人となりました。
若くして逝った良人の供養、そしてあの東京大空襲の夜、線路で一緒に拝みながら、
心を残して亡くなった方々のご冥福を祈って、与えられた天命を喜怒哀楽が世の常なら、
怒哀を取り去り、喜楽にのん気に過ごして参りたいと思う日々でごさいます。

逢うこともできぬ浄土や 虫時雨
老一人 話し相手は盆の月


…中略…

平和であるということは、今の若い世代の方々ばかりでなく、混乱期を体験した
わたし達老人にとりましても本当に幸せでございます。
このような日々を過ごせる時代がくるとは夢にも思わずに、戦地や被災で亡くなった
方々のご冥福を心からお祈りして終わりといたします。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

母は、あと半年で90歳になる
この先、数十年で戦争を知っている人がいなくなってしまう
どんな、時代になるのだろう
パーチャル世界のように、人の命はリセットできないんだよ
平和は、当たり前じゃないんだよ


少しでも、平和の尊さ、戦争の愚かさを伝えたくて載せてみました
(かなり、文中を略しましたのでわかりにくいかと思いますが…)

最後までお読みくださいまして、ありがとうございます


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2014/08/15(金) 23:04 | コメント:4 | トラックバック:0 |
コメント

いぐっちゃん :

おはようございます。東京は酷かったんですね・・TVで戦争ドラマはありますが、やはり生の声は鬼気迫るものが違うなぁ。うちの父はこどものとき(場所不明)父の祖父と家の焼け跡から瓦礫の中から食器などを堀り出したそうです。東京のむごさは感じられませんが・・。
母は78才で亡くなりました。けっこう長生きですよね^^
カリオペさんのお母さんは記録更新して生きて欲しいものです。うちの実家からショボいですが花火大会が見えます(笑)ホント小さく遠くに見えます~でも楽しみ。

カリオペ : Re:

いぐっちゃんさん、おはようございます!!
朝早くから、お読みいただきましてありがとうございます。朝の話題としては、ちと暗かったですね('~`;)
こんな時代が、わずか60~70年前にあったなんて…
今の平和な時代を作り上げてくれた、親世代、さらにその前の時代の人たちに感謝しなくてはいけないと、いつも思ってはいるのだけれど…。はい、親不孝者で_(^^;)ゞ

ミサ :

子供の頃に父から聞いていた戦時中の話は、私の記憶からどんどん薄れており、子供たちに聞かせる機会もほとんどありませんでした。
カリオペさんのお母様の体験記は、還暦を前にした私にとっても貴重なお話です。
今日ここに公開していただき本当にありがとうございました。



カリオペ : Re:

ミサさん、こんばんは!!
ご訪問いただきましてありがとうございます。
私たちの世代は、親や祖父母から戦時中の話を聞くきく機会かありましたが、これからの時代は、段々と記憶から薄れていってしまうように思いました。少しでも、次世代に伝えたいと思ってはみたものの、わたしの軽~いブログに載せてもいいテーマなのか、とても迷いました。ミサさんから、このような温かいコメントをいただき、公開してよかったとホッとしています。ありがとうございした。これからも、ぜひ遊びにいらしてくださいマセマセ!!
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